2017年5月25日木曜日

Karangan 9 インドネシア語作文課題(宿題)九  (10 September 1976)

いやほんまに頭は使わんと脳が退化してきよるのがよう分かるわ。ほなからまたインドネシア語ぼちぼち勉強することにした。

(9-1) アミールは川のほうへまっすぐに歩いて行った。
    Amir berjalan terus ke sungai.

terus で「まっすぐ」とはね。

(9-2) ハッサンはその川で水浴びをしていた。
    Hasan sedang mandi di sungai itu.

「していた」なのでsedang。「している」も「していた」も時制にいんど関係なしで sedang がインドネシア語やね。

(9-3) ハッサンはアミールがやって来たのを見て大喜びだった。
    Hasan girang sekali melihat kedatangan Amir.

「大」喜びなので sekali を付ける。datang に ke--an をつけて英語の動名詞みたいにする。ke--an をつけると、なにか迫ってくる感じがする。

(9-4) 「アミール!ここで一緒に泳ごうよ!」とハッサンは言った。
    "Mari kita berenang bersama-sama di sini, Mir!" kata Hasan.

「一緒に」なので bersama-sama を動詞の後につける。
だいたい場所を表す語はうしろのほうになるみたい。
名前を呼ぶときはなぜか名前の前の部分を省略するみたい。Amir ではなく Mir。私の名前を Mada と呼ぶ人もいた。ちなみに藤本先生によると、肯定の Ya は Saya だそうだ。
kolam renang プール

(9-5) 「ハッサン!今日は泳ぎたくないんだよ」とアミールが言った。
    "Hari ini saya tak mau berenang, San," kata Amir.

Hasan なので呼ぶ時は San。私の筆名の San Zinsoo の San は Hasan の San でもある。
貝淵さんの答えは "Sekarang aku tidak mau berenang, Hasan!" berkata Amir. もちろんこれも正解だ。

(9-6) 「そんならいいよ、僕ひとりで泳ぐよ」と水浴びをしながらハッサンは叫んだ。
    "Kalau begitu, sudah. Saya berenang sendiri," teriak Hasan sambil mandi.

直訳で akan をつけたいところだがつけない。
小波津さんの答えは "Sudahlah, kalau begitu. Aku berenang sendiri!" teriak Hasan sambil mandi.
sambil ~しながら
kamar mandi 浴室(欧米式なのでトイレといっしょになっている)
rumah mandi 銭湯
Mandi Madu oleh Elvi Sukaesih ハチミツの水浴び

2017年3月10日金曜日

Chojun Miyagi, guru besar karate 宮城長順先生

Wikipedia bahasa Indonesia mengenai Chojun Miyagi 
 


Saya punya nama pena adalah ”Sanzinsoo”. 
Nama pena (pen name, ペンネーム, 筆名, ハンドルネームadalah sebuah 
nama samaran yang diadopsi oleh penulis.
 
Memories of my sensei, Chojun Miyagi (私が日本語を英語に翻訳した。


http://yamada-san.blogspot.jp/search/label/Translation%3A%20MEMORIES%20OF%20MY%20SENSEI%20CHOJUN%20MIYAGI

Kenang-Kenangan untuk Pak Guru Chojun Miyagi (わたしが英語に翻訳したものをテリウス・グナワンさんがインドネシア語に翻訳してくれました。)
Saya mengucapkan terima kasih banyak kepada Saudara Terryus Gunawan 


2017年2月9日木曜日

Cerita Silat 中国武侠小説

Cerita silat selama ini oleh kalangan tertentu dianggap sebagai bacaan 
kelas dua, atau lebih buruk lagi, bahkan bacaan picisan.  
中国武侠小説は、ある種の人たちにより、最近まで三流小説、或いはもっとひどい言い方では三文低俗小説と考えられてきた。
 
Di negara asalnya pun semula jenis bacaan ini jarang disebut-sebut 
dalam sejarah kesusatraan ataupun mendapat pengakuan resmi dalam 
bentuk apa pun.
本家の中国でさえ最初はこの種の読み物が歴史上、文学作品として扱われることはめったになく、いかなる形であれ正式に認められることはなかった。
 
Semua itu kini telah berubah. 
そういったことすべては現在変わってしまった。
 
Beberapa tahun belakangan ini, cerita silat telah terangkat kedudukannya 
dan diterima dalam kategori sastra, paling tidak sastra populer.
最近数年、武侠小説はその地位を上げ、文学として、少なくとも大衆文学として受け入れられた。
龍門客棧 
* 単語
cerita silat = (英語) a martial-arts novel
picisan 10銭 少額の金 roman picisan 三文小説・低俗小説
terangkat 昇格した 持ち上げられた