40年前にスンダ(Sunda ジャワ島西部)のスカブミ(Sukabumi)に1ヶ月ほど農業研修所みたいなところに滞在していた。ガスも電気も水道もないのは普通だった。お風呂は川で水浴び(mandi)した。夜の宿舎というか小屋の明かりは石油ランプだけだ。私が石油ランプに頭をぶつけて落とし、2回も石油ランプのガラスカバーを壊してしまい、ついには空き缶に石油を入れた小さな松明みたいなものを使うことになってしまった。火事になりはしまいかと心配だった。他の仲間に迷惑をかけてしまった。怒る人は誰もいなかったけど・・・。申しわけないことをしたと今でも思ってる。
スンダといえば、スンダ・クラパ(Sunda Kelapa, Sunda Kalapa)を連想する。
<英語ウィキペディア>
Sunda Kelapa (Sunda Kalapa) is the old port of Jakarta located on the estuarine of Ciliwung River. "Sunda Kalapa" (Sundanese: "Coconut of Sunda") is the original name, and it was the main port of Hindu Sunda Kingdom of Pajajaran.
<英文和訳>
スンダ・クラパ Sunda Kelapa(スンダ・カラパ Sunda Kalapa)は、チリウン川の河口にあるジャカルタの古い港である。「スンダ・カラパ Sunda Kalapa」は元々の名前で、スンダ語で「スンダ地方の椰子」という意味である。ヒンズー教のスンダ地方のパジャジャラン王国の主要な港だった。
(英文)estuarine (潮の満ち引きのある大河の)河口
(印尼文)kuala 河口 中国語で「河口」だと聞いたことがあるが、北京語のピジンなのか福建語なのかどこかの方言なのか知らない。確かに「河」は「kua くあ」または「ka か」だなぁ。さんずいとったら 可口可楽 kě kǒu kě lè (= Coca Cola) の「可 kě」だしなぁ。
(印尼文)lumpur 泥、 Kuala Lumpur 泥の河口 、マレーシアの首都
2016年に復元されたマジャパイト王国 Kerajaan Majapahit (13~15世紀)の船。スンダ(西ジャワ)ではなく、東ジャワのマジャパイト王国だ。この船で実際にインドネシアから沖縄まで航海できることを実証した。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/5140
「南方との交易 - 14世紀から16世紀にかけて、沖縄(=琉球王国)と南方との通行(=貿易)がみられるのは、シャム(タイ)、パレンバン(旧港)、爪哇(=ジャワ)、満刺加(マラッカ)、スマトラ、仏太泥(パタニ)、安南(ベトナム)、巡達(スンダ)などの各地である。」(外間 守善 ほかま しゅぜん「沖縄の歴史と文化」67頁 1984年)
琉球語: からは = カラパ(ジャカルタの古称)= Kalapa = Sunda Kalapa
沖縄の偉大な言語学者、伊波 普猷(いは ふゆう)によれば、琉球語の元々 P の音だった発音は時代とともに変化し、P → F → H のように変化したそうだ。(伊波普猷「P音考」 1942)
http://r.binb.jp/epm/e1_16463_21102015173640/
当時の琉球の人たちは貿易のため船でインドネシアのスンダ・カラパまで行っていたのだ。すご~い!
1992年に復元された琉球王国 Kerajaan Ryukyu (15~19世紀)の船。
http://www.gyokusendo.co.jp/okinawaworld/blog/2014/09/post-95.html
臨海寺は、その名が示す通り、元々は三重城(グスク)に至る海中道路の途中に、海に臨んで建立されていた。「沖ぬ寺」とも呼ばれていて、琉球八社・沖宮の別当寺である。葛飾北斎が描いた「琉球八景」のうち「臨海湖声」に、一つ目の橋を渡った先に石塀で囲まれたお寺が描かれているが、そこが臨海寺である。
北斎は実際に琉球を訪れたわけではなく、1756年に来琉した冊封使・周煌が書いた琉球の見聞録『琉球国志略』に収録された絵図(「中山八景」)を元に描き、想像で着色したものとされている。
http://100.ajima.jp/history/term-history/e279.html
りんけんバンドのCDアルバム名「カラハーイ」とは唐・中国を意味する「から」と針を意味する「はーい」で唐の針、つまり羅針盤のことだ。上記の「からは=Sunda Kalapa」とは全然関係ない。
とは言え、船の羅針盤のことだからそのアルバムの中から「ふなやれ」という曲を訳して紹介します。
ふなやれ(= 船を遣わす) りんけんバンド
<沖縄語の歌詞と和訳>
錨(いかい)揚(あ)ぎてぃ
とは言え、船の羅針盤のことだからそのアルバムの中から「ふなやれ」という曲を訳して紹介します。
ふなやれ(= 船を遣わす) りんけんバンド
<沖縄語の歌詞と和訳>
錨(いかい)揚(あ)ぎてぃ
錨を上げて
真帆(まふ)引きば
帆の綱を引けば
春三月(はるさんぐゎち)ぬ風(かじ)孕(はら)でぃ
春三月(はるさんぐゎち)ぬ風(かじ)孕(はら)でぃ
春、三月の風を受けて
美(ちゅ)らさ進貢魚(しんくんいゆ)ぬ如(ぐとぅ)
美しい進貢船は水を得た魚のようだ
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
美(ちゅ)らさ進貢魚(しんくんいゆ)ぬ如(ぐとぅ)
美しい進貢船は水を得た魚のようだ
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
彩る模様を描く波を押しのけて
走(は)い出(んじ)たる那覇港(なふぁんなとぅ)
なめらかに那覇港を出る
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
走(は)い出(んじ)たる那覇港(なふぁんなとぅ)
なめらかに那覇港を出る
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
彩る模様を描く波を押しのけて
思(うむ)いや果てぃねん旅心(たびぐくる)
去来する思いは果てなく
これから始まる旅の思いで胸がいっぱいだ
船(ふに)ぬ習(なれ)や別りぬ習(なれ)
船に別れはつきものだ
見送る御万人涙(うまんちゅなだ)見してぃ
思(うむ)いや果てぃねん旅心(たびぐくる)
去来する思いは果てなく
これから始まる旅の思いで胸がいっぱいだ
船(ふに)ぬ習(なれ)や別りぬ習(なれ)
船に別れはつきものだ
見送る御万人涙(うまんちゅなだ)見してぃ
船を見送る多くの人々は涙を流す
名残押(なぐぅりう)しでぃ出船子供(んじふなくぅ)
名残惜しいが出港しなければならない
ミケーン、タケーン、又とぅんけーてぃ
名残押(なぐぅりう)しでぃ出船子供(んじふなくぅ)
名残惜しいが出港しなければならない
ミケーン、タケーン、又とぅんけーてぃ
何度も何度も振り返って
童(わらび)、 妻(とぅじ)、 親(うや)かめーりば
童(わらび)、 妻(とぅじ)、 親(うや)かめーりば
我が子、妻、親を探したが
ミケーン、タケーン、又とぅんけーてぃ
ミケーン、タケーン、又とぅんけーてぃ
何度も何度も振り返って見たが
見分きんちかん三重城(みーぐしく)
三重城ははるか遠くでよく見えない
~ 間奏・琉歌を詠む ~
沖(ウチ)ぬ側(スバ)までぃや
親子兄弟(ウヤクヮチョーデー)連(チ)りてぃ
渡中(トゥナカ)押し出れ(ウシジリ)ば
風(カジ)どぅ頼(タヌ)む
嘉例吉(カリユシ)ぬ御船(フニ)に
嘉例吉小(カリユサグヮ)乗(ヌ)してぃ
ただ糸(イチュ)ぬ上(ウイ)から
走(ハ)るが美(チュ)らさ
<訳>
海の中にある臨海寺の近くまで
見分きんちかん三重城(みーぐしく)
三重城ははるか遠くでよく見えない
~ 間奏・琉歌を詠む ~
沖(ウチ)ぬ側(スバ)までぃや
親子兄弟(ウヤクヮチョーデー)連(チ)りてぃ
渡中(トゥナカ)押し出れ(ウシジリ)ば
風(カジ)どぅ頼(タヌ)む
嘉例吉(カリユシ)ぬ御船(フニ)に
嘉例吉小(カリユサグヮ)乗(ヌ)してぃ
ただ糸(イチュ)ぬ上(ウイ)から
走(ハ)るが美(チュ)らさ
<訳>
海の中にある臨海寺の近くまで
親子兄弟連れ立って順風を祈願する
沖の海にいったん出てしまえば
沖の海にいったん出てしまえば
あとはただ風に頼るしかない
めでたい船に
めでたい船に
めでたいものを乗せて
穏やかな海の上を絹の上を
穏やかな海の上を絹の上を
滑るように航海する美しさ
<訳>
東立雲(あがりたちぐむぅ)打(う)ち晴りてぃ
<訳>
東立雲(あがりたちぐむぅ)打(う)ち晴りてぃ
東に白い入道雲が沸き立ち
火玉や新たに高々とぅ
火玉や新たに高々とぅ
頭上には太陽が高々と照る
寅ぬ風(かじ)に追ーらってぃ
寅ぬ風(かじ)に追ーらってぃ
東北東微北の風に追われて
左(ひじゃい)、右(にじり)、上(うい)、下(しちゃ)
タンブイし
船は左右上下に激しく揺れる
諸帆揚(むるふあ)げてぃ舵取(かじとぅ)りば
左(ひじゃい)、右(にじり)、上(うい)、下(しちゃ)
タンブイし
船は左右上下に激しく揺れる
諸帆揚(むるふあ)げてぃ舵取(かじとぅ)りば
帆をいっぱい上げて舵を取れば
左(ひじゃい)、右(にじり)、上(うい)、下(しちゃ)
タンブイし
左(ひじゃい)、右(にじり)、上(うい)、下(しちゃ)
タンブイし
船は左右上下に激しく揺れる
千里万里(しんりまんり)や東支那
東支那海が千里万里と広がる
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
千里万里(しんりまんり)や東支那
東支那海が千里万里と広がる
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
彩る模様を描く波を押しのけて
走(は)い出(んじ)たる那覇港(なふぁんなとぅ)
走(は)い出(んじ)たる那覇港(なふぁんなとぅ)
なめらかに那覇港を出る
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
綾(あや)なす水(みじ)押(う)しぬきてぃ
彩る模様を描く波を押しのけて
思(うむ)いや果てぃねん旅心(たびぐくる)
思(うむ)いや果てぃねん旅心(たびぐくる)
去来する思いは果てなく
これから始まる旅の思いで胸がいっぱいだ
これから始まる旅の思いで胸がいっぱいだ
(やまとぐち訳/標準語訳・山田)
<歌詞の語句>
沖縄語辞典(島袋盛敏, 比嘉春潮, 国立国語研究所編, 大蔵省印刷局, 1983)
* 発音注意 ju = yu = ゆ, zai = じゃい, ? = glottal Stop 声門閉鎖音
ちゅらさん curasaN
curasaN(0) (形) 美しい。きれいである。
進貢船
cinNkuNsiN(1) (名) 進貢船。琉球王国の貿易船。中国へ貢物を持って行く船。
はゆん ha=juN 走る
んじゆん ?Nzi=juN 出る
ミケーン mikeeN
mikeeN(1) (名) 三回。-keeN は回数を表す接尾辞。
mi 三
タケーン takeeN
takeeN(1) (名) 二回。-keeN は回数を表す接尾辞。
ta 二
とぅんけーてぃ tuNkeeti
tuNkee=jun(1) (自 =raN, ti) 振り向く。後方を振り返る。
わらび 'warabi(0) (名) 子供。
とぅじ tuzi(1) (名) 妻。
うや ?uja(0) (名) 親。
三重城 miigusiku
miigusiku
mi 三
gusiku(0) (名) 城。とりで。防御のため堅固に築いた建物。
沖 ?uuci
?uuci(0) (名) 沖。ただし、海岸からさして遠くない所をいう。全くの外洋は ?uutu という。この歌詞では「沖の寺」と呼ばれた「臨海寺」のことを指す。
渡中 tunaka
tunaka(1) (名) 沖の海。沖合い。沖の海上。
はてぃ hati(0) (名) はて。hati nu neeraN. きりがない。
ねーん neeN(0) (自) ない。無い。
なだ nada(0) (名) 涙。nada nu ?utijuN. 涙が出る。
船子(ふなく) hunaku(0) (名) 水夫。船乗り。
東 ?agari(1) (名) 東。東立雲(あがりたちぐむぅ) 「東立雲」と書かれた旗頭、大里村の豊年祭(1953年8月26日)沖縄県公文書館所蔵。
<歌詞の語句>
沖縄語辞典(島袋盛敏, 比嘉春潮, 国立国語研究所編, 大蔵省印刷局, 1983)
* 発音注意 ju = yu = ゆ, zai = じゃい, ? = glottal Stop 声門閉鎖音
ちゅらさん curasaN
curasaN(0) (形) 美しい。きれいである。
進貢船
cinNkuNsiN(1) (名) 進貢船。琉球王国の貿易船。中国へ貢物を持って行く船。
はゆん ha=juN 走る
んじゆん ?Nzi=juN 出る
ミケーン mikeeN
mikeeN(1) (名) 三回。-keeN は回数を表す接尾辞。
mi 三
タケーン takeeN
takeeN(1) (名) 二回。-keeN は回数を表す接尾辞。
ta 二
とぅんけーてぃ tuNkeeti
tuNkee=jun(1) (自 =raN, ti) 振り向く。後方を振り返る。
わらび 'warabi(0) (名) 子供。
とぅじ tuzi(1) (名) 妻。
うや ?uja(0) (名) 親。
三重城 miigusiku
miigusiku
mi 三
gusiku(0) (名) 城。とりで。防御のため堅固に築いた建物。
沖 ?uuci
?uuci(0) (名) 沖。ただし、海岸からさして遠くない所をいう。全くの外洋は ?uutu という。この歌詞では「沖の寺」と呼ばれた「臨海寺」のことを指す。
渡中 tunaka
tunaka(1) (名) 沖の海。沖合い。沖の海上。
はてぃ hati(0) (名) はて。hati nu neeraN. きりがない。
ねーん neeN(0) (自) ない。無い。
なだ nada(0) (名) 涙。nada nu ?utijuN. 涙が出る。
船子(ふなく) hunaku(0) (名) 水夫。船乗り。
東 ?agari(1) (名) 東。東立雲(あがりたちぐむぅ) 「東立雲」と書かれた旗頭、大里村の豊年祭(1953年8月26日)沖縄県公文書館所蔵。
「ふなやれ」 りんけんバンド
"Funayare" (artinya Perjalanan Kapal Kuno) oleh Rinken Band
北斎は実際に琉球を訪れたわけではなく、1756年に来琉した冊封使・周煌が書いた琉球の見聞録『琉球国志略』に収録された絵図(「中山八景」)を元に描き、想像で着色したものとされている。
http://100.ajima.jp/history/term-history/e279.html
葛飾北斎 「琉球八景」の「臨海湖声」
Kuil Buddha "Rinkaiji" di Nafa, Okinawa (Foto sebelum tahun 1907)
周煌 「中山八景」の「臨海潮聲」